【1分参拝】一畑薬師 島根県出雲市 Ichibata Yakushi #中国三十三観音霊場

撮影地
一畑薬師

住所
出雲市小境町803

一畑薬師(いちばたやくし)は島根半島のほぼ中心部に位置する、標高200mの一畑山上にあります。
「目のお薬師さま」「子どもの無事成長の仏さま」をはじめとした、諸願に霊験あらたかなお薬師様として、古くから全国的に篤く信仰されています。

宗派は禅宗(臨済宗妙心寺派)、また全国に約五十の分霊所がある一畑薬師教団の総本山で、様々な病平癒で参拝する人が絶えません。
日々のご祈念、例月祭、座禅会、茶会など、年間を通して多くの行事が催されています。

境内には「薬師瑠璃光如来」を本尊とするお堂をはじめ、八万四千の仏様が奉納されている「八万四千仏堂」、百八基の燈籠がならぶ参道などがあります。

本堂へ続く有名な1200段余りの階段

八万四千の仏様が奉納されている「八万四千仏堂」

百八基の燈籠がならぶ静かな参道

お寺の名称は正式には「一畑寺」ですが、「一畑薬師」という通称が広く親しまれています。一畑薬師とはつまり、「一畑寺のお薬師さま」の事で、仏様の名前を親しみこめて呼んでいる事になります。
「一畑」の名の由来は地名(薬草畑の番号)であるといわれています。今でもこの周辺には、大畑、中畑、小畑、薬師畑、後畑などの地名が残っており、当時薬の栽培が盛んであったことがうかがえます。

麓から本堂へ続く1200段余りある石段(参道)も有名で、毎年この階段をかけ上るマラソン大会も恒例行事です。山頂まではドライブウェイがあり、車であがることもできます。
ここからの眺めは絶景で、宍道湖を眼下に大山や三瓶山など、中国山地の山なみが一望できます。また秋になると紅葉が美しく、一畑山が赤や黄色に彩られます。

信仰の広がりと「一畑灯籠」

江戸時代中期になると、一畑信仰は中国地方をはじめ、九州、四国、近畿、東北にまで広まりました。当時遠方からこの一畑薬師まで参拝に来るのは大変だったため、遠隔地からの遥拝所として「一畑灯篭」が建てられました。
出雲地方ではこの灯篭を様々な場所で見ることが出来ます。

一畑寺の縁起は母をおもう子の一念

今からおよそ1100年前、平安時代の寛平6年(894)に一畑山の麓の海岸に与市という漁師がいました。盲目の母親と二人暮らしであった与市は、ある日海から金色に輝く薬師如来を引き上げます。
それからというもの与市の家には不思議なことが相次いで起こり、夢で薬師如来のお告げを受けます。与市はそのお告げ通り、母親の眼病を治すために千把の藁を身にまとって近くの崖から飛び降りようとします。村人たちの説得も虚しく与市は転げ落ちていき、千把の藁はバラバラになりました。
気がつくと与市は大きな石の上に安座しており、怪我一つありませんでした。そして我が子の身を案じて無我夢中で走り駆け寄った母親の目は、しっかりと開いていたということです。

その後与市はこの地にお堂を建てて薬師如来をご本尊として祀り、自らは比叡山に上り出家をして名を補然と改めました。そのことから一畑薬師は「目のお薬師さま」といわれるようになったということです。

また戦国の世に小さな幼児が助かったことから「二歳児詣り」「四歳児詣り」など子供の無事成長の仏様としても広く知られています。

「ようかさん」毎月8日
毎月8日 11:00~13:00 / 薬師本堂
毎月8日は薬師如来の縁日で、「ようかさん」と呼び親しまれ、たくさんの参詣があります。
縁日といって、神仏には、特別縁の深い日が定められており、この日は平生の千倍のご利益があると言われています。

朝から釣鐘が鳴らされ、昼前からたくさんの和尚様方による大般若祈祷会が始まり、続いて管長様の法話が聞けます。

かわいらしい舞姫さんによる踊りが薬師如来の真前に奉納されます。

地元で愛されるローカル電車「バタデン」
出雲平野を走る一畑電車

珍しいスイッチバック式が見られる一畑駅

バタデンの愛称で知られる「一畑電車」は、明治44年(1911)、出雲市を基点として出雲市平田町を経由し、一畑薬師の下(現在の一畑口駅)まで開通しました。名前は一畑薬師への参詣が目的であったことに由来します。
現在は出雲大社から松江市までをつなぐ電車として、一畑薬師への参拝はもちろん、出雲大社参拝や松江市への観光の足としても大変便利で、地元では生活路線として利用されています。
廃線の危機を乗り越え今も走り続ける「バタデン」は2010年銀幕デビューを果たしました。

観光情報
https://izumo-kankou.gr.jp/special/685

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