近鉄 宇治山田駅 『沢村栄治 結びの像』  三重県伊勢市岩渕2丁目1   #伊勢市 #沢村栄治 #ブロンズ像 #巨人軍 #野球殿堂入り #伊勢神宮 #外宮 #内宮 #近畿日本鉄道 #山田線 #鳥羽線

近鉄 宇治山田駅 『沢村栄治 結びの像』  三重県伊勢市岩渕2丁目1   #伊勢市 #沢村栄治 #ブロンズ像 #巨人軍 #野球殿堂入り #伊勢神宮 #外宮 #内宮 #近畿日本鉄道 #山田線 #鳥羽線  20240921 @akibingo

伊勢市出身の伝説の名投手 澤村榮治のブロンズ像が2019年5月30日に宇治山田駅前に建立されました。 生家があった方に向かって左足を大きく上げています。

像の高さは台座の部分を含めて315センチ。左足を高く上げる沢村投手の特徴ある豪快なフォームが素晴らしいですね。

1936年から1943年までプロ野球草創期の名投手(巨人軍の初代エースピッチャー)で活躍した、三重県伊勢市出身の沢村栄治。

大正6年にここ宇治山田市(現伊勢市)で生まれたそうだ。
 そして宇治山田市立第六尋常小学校に入学、その後京都商業に進学してる。
 昭和9年には全日本に入団し、あの有名なエピソード、草薙球場で大リーグ相手に快投した訳ね。
 同年巨人軍に入団し、昭和11年にプロ野球史上初のノーヒットノーラン達成と。
 昭和12年にはプロ野球初の最高殊勲選手となっている。
 昭和13年に上海に兵役、翌年帰還。
 昭和16年にフィリピンへ兵役、翌々年帰還。
 昭和19年に3度目の兵役、12月2日に台湾沖にて戦死、享年27歳だそうだ。
 昭和22年に沢村賞が制定、昭和34年に野球殿堂入りなんだって。
 下の方に、「伊勢の誇りである澤村 榮治の偉大なる功績をたたえ、生家近くのこの地に像を建立する。」とある。
 これびっくりしたんだが、何とこの像出来たの令和元年5月吉日。

宇治山田駅(うじやまだえき)は、三重県伊勢市岩渕二丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号はM74。

概要
1931年の参宮急行電鉄(のちの近鉄大阪線・山田線)全通に際し、宇治山田市(現・伊勢市)の新たな玄関口となる伊勢神宮最寄りのターミナル駅として、前年に開かれた「御遷宮奉祝神都博覧会」の会場跡地に開設された。

駅名は開業当時の市名にちなむ。「宇治」と「山田」の合成地名であり、山田とは当駅界隈を含む伊勢神宮外宮の門前町、宇治とは伊勢神宮内宮の門前町(最寄駅は隣の五十鈴川駅)を指す。

当時から長距離列車の始終着駅として賑わい、また構内に貴賓室があり、天皇や内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている。

駅長が置かれ、山田線櫛田駅 – 当駅間ならびに鳥羽線当駅 – 五十鈴川駅間の各駅を管理している。

当駅構内に近畿日本鉄道の親会社である近鉄グループホールディングス伊勢志摩支社が置かれている。

乗り入れ路線
山田線と鳥羽線の2路線の接続点。

直通運転を主体としており、大阪・京都・名古屋方面と五十鈴川・賢島方面の間で特急・快速急行・急行が通る。普通列車も基本的に山田線伊勢中川駅 – (鳥羽線) – 志摩線賢島駅間の運転である。

歴史
参宮急行電鉄(参急)によって現在の近鉄大阪線・山田線にあたる大阪から伊勢神宮への参拝ルートが開かれた時、当初はこの駅の工事の遅れから隣の鉄道省山田駅(今の伊勢市駅)を暫定ターミナルとした。同社の桜井 – 山田間開業から3ヶ月たってようやく宇治山田のターミナル駅が完成し、全通に至った。開業から5日後には、この駅で参急線の全通披露会と参急の親会社で直通運転を行っていた大阪電気軌道(大軌)の創立20周年祝賀会が催されている。

当時としては壮大であった高架ターミナル駅(詳細は#駅構造を参照)は伊勢のみならず大阪人の羨望も集め、「伊勢では電車も高天原に着く」と洒落て呼ばれた。当時、大阪上本町 – 宇治山田間の所要時間は2時間半、運賃は2円39銭であった。

開業時より半櫛形ホームで、3・4番線は将来の延伸を考慮したものになっていた。この時点では鳥羽線の建設計画はなかったものの、皇大神宮(内宮)までの延伸を計画していた。しかしこれは「余りにも恐れ多い」という理由で着工に至らず、結局ここから先へ線路が延伸されたのは開業から38年後の鳥羽線開業時であった。

年表
1931年(昭和6年)3月17日:参宮急行電鉄(参急)の山田(現在の伊勢市) – 宇治山田間開通に伴い、終着駅として開業。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道(大軌)が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道(関急)が発足。線路名称の改定により山田線所属駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日:関急が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道(近日→近鉄)の駅となる。
1948年(昭和23年)7月18日:特急列車の乗り入れ開始。
1953年(昭和28年)9月30日:2線を増設し、3面4線となる。
1960年(昭和35年)1月20日:特急による名古屋 – 宇治山田間直通運転開始。
1966年(昭和41年)12月20日:特急による京都 – 宇治山田間直通運転開始。
1969年(昭和44年)12月15日:鳥羽線宇治山田 – 五十鈴川間開業。実質的に途中駅となる。
1990年(平成2年)11月18日:午前3時5分頃、駅構内2か所で爆発が発生。天皇の伊勢訪問を前にした過激派によるゲリラ事件と見られ、始発から11時頃まで運休となった。
1992年(平成4年):大規模な改修工事を開始。
1993年(平成5年)9月:28億円をかけた駅舎の改修工事が完了。自動改札機の導入、バリアフリー化を実施。
2001年(平成13年)12月15日:国の登録有形文化財に登録。
2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始。
2012年(平成24年)11月22日:駅構内にショッピングモール「Time’s Place うじやまだ」がオープン。駅前広場整備工事が完了し、歩道橋の撤去と横断歩道の新設、バス・タクシーと自家用自動車のロータリーの完全分離が実現した。
2023年 (令和5年) 7月3日:駅構内に近畿日本鉄道の親会社 近鉄グループホールディングス 伊勢志摩支社が設置された。伊勢志摩地域との連携強化が狙いである。
駅構造

3番線より伊勢中川方向を撮影
架線柱の接続部分を八角形にすることで、線路を増設して内宮まで延伸できる余地を残している。

行き止まり式の1・2番線、奥に見えるのが3番線

バス乗り場跡

バス乗り場跡へ続くスロープ
駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て(塔屋を含めると5階建て)で、同じ1931年(昭和6年)に開業した東武鉄道浅草駅や、1932年(昭和7年)竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節の設計 による近代建築である。施工は大林組で、建築面積は3,201 m2ある。幅128 mの堂々たる駅舎外部壁面はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並ぶ。屋根は茶色のスペイン瓦を使用している。天井の高いコンコース共々、デザインに優れた昭和初期の名建築と評価されており、駅舎本屋は2001年(平成13年)に国の登録有形文化財に登録された。第1回中部の駅百選選定駅。

高架駅であるが入口は1階の西側しかなく、駅の東側からは直にホームへ行くことはできない。これは1961年(昭和36年)1月まで三重交通神都線が営業していた名残で、当駅の東側に車両の点検・改造を行っていた「岩渕車庫」があったためである。

2階には改札口のほか、皇族や内閣総理大臣等が利用する貴賓室も設けられている。3階は片面単式ホーム1面と櫛形ホームによる3面4線の高架駅である。

駅舎内外の荘厳さに対し、現在のホーム階の様子は一見すると至って「普通」に見える(後述)。 1・2番線は鳥羽方が行き止まりになっており、当駅での折り返し列車が使用する。ホーム有効長は6両編成まで対応するが、1番線は伊勢中川寄りにホーム柵を設置しているため、4両編成以下の列車のみが使用する。 3・4番線のみが鳥羽・賢島方面に通じており、鳥羽・賢島方面行きは3番線を使用する。なお、3番線からも伊勢中川方面への折り返しは可能であり、当駅で折り返す優等列車や団体貸切列車・臨時列車・明星車庫への回送列車が7両 – 10両編成になった場合、有効長10両の当駅3番線か五十鈴川駅まで回送されて折り返す。

2・3番線ホーム中ほどと4番線ホーム伊勢中川寄りに待合室がある。4番線ホームには売店(ファミリーマート近鉄宇治山田駅4番ホーム店)があり、ファミリーマートは1階のショッピングセンター「Time’s Place うじやまだ」にも出店している(ファミリーマート近鉄宇治山田駅改札外店)。

当駅の線形は、伊勢中川方面から1・2番線へほぼまっすぐ入線する形になっている一方、3・4番線は右へカーブしている。これは元々行き止まり式だったところへ、後から鳥羽線を山田線から直通できるようにしてつなげたためである。信号機上では3番線が下り本線である。

駅構内(1階コンコース)
延伸側
転車台と火の見櫓

塔屋
1番線の外側には地上とスロープでつながる通路があり、その先端には空中に突き出すような形で転車台が設置されている。これらは、鳥羽線開業以前に賢島方面へ向かう際の乗り換えの便宜を図るために設置された設備の遺構で、スロープを上ってきたバスが転車台で方向転換していた。鳥羽行や賢島行の特急バスが乗り入れ、当駅到着の特急列車と接続していた。1961年(昭和36年)に供用を開始し、一時中断を挟みながらも鳥羽線開業後も定期観光バスが乗り入れ、観光客の便宜を図っていたが、1994年(平成6年)を最後に使用されていない。2016年(平成28年)6月11日放送の『ブラタモリ』(NHK総合テレビ)でタモリらがここまでバスで乗り入れた。近鉄特急史も参照のこと。

建物南端の塔屋はもともと火の見櫓を兼ねており、1936年(昭和11年)から1968年(昭和43年)まで駅構内に伊勢市の消防本部(設置当初は消防組常備部)を置いていた。通信手段が未発達だった当時、市街を見渡せる塔屋は火災の発生を発見するために適し、当番員は1時間交代で警戒に当たっていた。1階には消防車の車庫も残っている。なお、塔屋は非公開である。

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