【愛知県】40年以上放置された未完成駅はなぜ完成しないのか?

愛知県知多郡美浜町に40年以上放置された”未成駅”があります。
建設が中断された理由は?駅はいつ完成するのか?現地にて解説しました。

https://www.instagram.com/tomos_travel1102/

#愛知県 #廃墟 #鉄道

26 Comments

  1. 内海駅に限らず線路を海岸側に通さなかったのが、今となっては決定的な敗因でしたね。
    海岸側を通して、奥田海岸もビーチランドも駅降りてすぐだったら、観光利用者がもっと使っていたでしょうから。

  2. 平成元年頃に「美浜緑苑駅」に住んでました(杉本美術館の近くでした)父親が内海の温泉宿に勤めていましたので、なぜか懐かしいですね、名古屋駅まで、名鉄で通勤してましたが、小野浦駅の存在はあまり聞いたことはありませんでした。

  3. 地元民が知らないって驚きましたね
    鉄道系やら廃墟系の方がよく訪れてるので知ってはいましたが

  4. 妻って呼び方は正解なのかもしれないけど 
    奥様 まあ いかんのかもしれないけど嫁さん もしくは嫁はん でいいと思う

  5. 他の交通系YouTubrも個々取り上げる動画tら掘らあるけど
    辿り着くのが困難ってとこまで紹介するのあんまないんで
    そういうのは安易な興味本位防ぐにも良いですね。
    この辺は本当に高校生の頃内海に遊びに行った時から時間止まってて
    たまに仕事詰まって人生見つめ直したい時にバイクで旅したりしますねえ

  6. 仮に沿線の大半が市街化区域に指定されたとしてニュータウンができても今頃ゴーストタウン化してるのではないかと思われます。何せ名古屋から遠い。知多半島の中心の半田市も産業都市として弱く求心力はさほどない。三河湾国定公園の一部である美浜町・南知多町のリゾート化も未だにさほど盛り上がっていない。セントレア効果も影響少ない。
    今後は地元の力だけでなく、都市部からの若い力による地道なリゾート化を図るのを期待するしかないように思う。

  7. 廃弥富口駅とやたら建築構造似てるなって思ったら建設された年数が同時期だったんすね…

  8. Tomo-san itsumo arigato! mmm lunch mo ebi senbei mo oishisoooo! gokazoku ni omiyage, totemo oyasashii, hitokuchi itadakitai desu 😀

  9. アップありがとうございます懐かしいです
    知多方面は車で行く事が多く電車はあまり使わないのでなんか新鮮でした

  10. 全通から40を経て未だ「新線」とは…建設費回収率も2割程度らしい。
    せいぜい4両編成の1時間2〜3往復に中学校の騒音問題とは、名古屋市内の新幹線沿線にある学校からすれば片腹痛い。
    市街化調整区域の件や、水が汚すぎて海水浴場の魅力もなく、名鉄としては誤算続きで今があるのだろうなあ…と。

  11. 大変興味深く視聴しました。市政の施工とのタイミングが重なって大きなプランが頓挫するという生々しい過程がうかがい知れました。人口は少なくなっていっても美しい土地ですね。その地方の名物が食べたくなってしまいました。日本にしか売ってないエビ煎餅!お刺身定食も!子供時代に一番好きだったメニューです😊✌🏼。今でもちゃんとあるのがありがたいです。こういう海の恵みを画面を通して堪能しましたー!☺️

  12. 地元の生の声を聞く限りですが、半島先端部で土地が拓けていて、観光開発にも力が入っていたのは河和線側で、人口密度もそちらの方が高く、一方内海側は山しか無かったと言われていました。
    それを名鉄がニュータウン計画と観光開発を行い、後は動画の通りです。
    また、内海にはかつてフォレストパークという遊園施設も有りましたが、採算を見込めす閉鎖。ビーチランドも自治体支援を受けながら運営しています。
    小野浦は知名度も低い為、コロナ禍の影響も受け周辺旅館の閉鎖も相次ぎ、野外フェスも客の導引も難しく過疎化が進んでいる地域とも言えます。
    知多新線の乗車率も車ありきの地域も有り乏しい為、本数の減少や場合によっては廃止の懸念も挙げられています。

  13. 知多新線自体が不良資産になっているようですね。
    ほぼ全線複線の用地を確保していながら、それどころか、運行本数削減に伴い交換設備を次々と撤去していますから。
    日本福祉大学のキャンパス移転があれば廃線もあり得ると思われます。

  14. 廃駅の一つの理由が、水資源問題でわ?今では、余っていますが開発は、反対意見が強かったのでしよう?

  15. 小野浦駅は元々は当時小野浦に存在した極少ない住人からの要望から着工したは良いけど、その住人達も消えていなくなり、更に計画されていた住宅地作る計画もたち消えて、作っても需要が見込めないとして建設は取り止めになったんですよね。
    今は知多新線の保守用に利用されていて保守用資材の置き場や作業員の拠点に使用されているみたいです。

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