古代福岡を巡る旅:知られざる大宰府の防衛拠点

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#観光 #歴史 #旅行

7 Comments

  1. いつも楽しく拝見しています!😊
    特に地図の見せ方(いまどこにいるのか、地形がどうなってるか、歩いている時に今どちらを向いているか、等)がどこよりもわかりやすく丁寧に編集されてたり、よい意味でマニアックになりすぎないところがバランスよくてありがたいです🙌
    これからも応援しています!🎉

  2. とてもわかりやすいですね。うなずきながら拝見した地元民です。
    小ネタとして、「小水城」というのもあります。小さな谷筋を横切る水城→小水城です。他にも「大土居」と呼ばれる土塁も残っています。おそらくいろんなところに土塁が築かれたものと思われます。時代は下って鎌倉時代、元寇に際して築かれた元寇防塁も同じ考えで作られたものと考えると面白いです。
    基山(基肄城)山頂に登って地形を眺めると、なるほどここは防衛拠点としてはいい位置だと思わせられます。基肄城は南からの侵入に備えたものかもしれませんね。

  3. 朝倉橘広庭宮があった場所は、記念碑のある須川ではなく、朝倉市山田と思われます。理由は、①「広庭」というからには、ある程度の広さのある場所である。②須川からは麻氐良(麻弖良・までら)山が見えない。日本書紀には、そこにあった朝倉社を東の朝倉山に移したとあるが、朝倉山という名前の山は見当たらず、現在の麻氐良山と思われる。

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